新時代学問のススメ

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これだけで分かる!哲学入門 

 

哲学や思想って、何から読んだらいいのか分からない分野だと思います。とにかく歴史が長いというか、学問の分野としては最も古い歴史をもつ分野になります。ですが、この哲学を把握すれば、学問の全体像がハッキリと見えてくるようになります。その哲学をズバリ「ここだけで分かる!」という視点で解説したいと思います。

 

私の書き方として、まず結論から書きます。答えは「人間とは〇〇だ」という「人間に関する判断の基準となる大前提を確定すること」にあります。「人間とは〇〇だ」

なんて、学問で証明できるわけない、と考えるかもしれませんし、実際に、多くの学者は私の指摘に「馬鹿げている」と反論するかもしれません。ですが「人間に関する大前提と決めなければ学問は不可能」なのです。 

 

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古代ギリシャの哲学者、アリストテレス(前384-前322)が、物事を論じる方法論として考えた論理学の中でも最も重要な理論である「三段論法(大前提、小前提、結論の組み立て)」というのがあります。この三段論法を簡単に説明すると、「対象X」に関する大前提が例えば「〇〇」であれば、「対象X」に関するほぼ全ての結論が「〇〇」になる、ということです。ココが分かれば、哲学の大部分が分かると思います。

 

つまりその対象の「大前提が全ての結論を左右する」のです。それが人間について研究であれば、実際ほとんどの研究が人間に関するものですが、人間に関する大前提が「〇〇」であれば、それら研究の結論は全て「〇〇」になる、はずです。というか、「〇〇」が結論なので、後は、どのような制度、政策を組み合わせれば、人間にとって本来ふさわしい「〇〇」の状態が実現するのか、という問題だけが残るのです。人間の理性とはどういう存在なのか、人間の実存は何か、本質は何かと難しく議論を重ねているのも、「人間とは〇〇だ」を決めるために努力してきたものです。

 

ここ数百年(500年くらい??)の学問の歴史で、人間に関する大前提は、何だったでしょうか?つまり、「人間とは〇〇である」という大前提の「〇〇」の部分が、学問を決めてきたのですが、この「〇〇」に入る言葉は何でしょうか。ちょっと恐ろしいことですが、ここに入る言葉は「戦争」だったのです・・・・。だから、近現代のあらゆる学問の結論が実は「戦争(生存競争、自由競争、適者生存)」に向かうようです。

 

教育学ではどうでしょうか。教育の目的は「人格の完成」「個人の価値の尊重」と言われますが、「人格」とは何かの説明はあまりなされていないようですが、「人格」が権利・義務の主体となることだとすれば、この目的は、ほぼ法学的な意味での個人主義的人権の尊重に近づくように思います。人権も実は個人主義が優先で、他者への配慮(生存権)はかなり制約された第二義的な権利になっています。

 

ここで大切なのは、教育学であっても、「他者を助けなさい・助け合いなさい」という教育は、道徳の授業では多少含まれるでしょうが、人間本来の目的としては想定されていない、ということです。

 

法学では「自由権(実は、物的・精神的私的財産の所有権のことで、他者と共有(助けあう)はしない、財産を自分で処分する自由のこと」、経済学では「自己の利益の最大化」を「最適な分配」の基準とするなど、社会科学の柱である法学と経済学が「自己の生存」を最優先し、他者への分配は実は権利・義務としないなど、生存競争の原理が貫かれていることが分かるのです・・・(また追って、説明していきます)

  

では、一体だれが「人間とは戦争だ」ということを決めたのでしょか。どうも最初の人物は、社会契約説(簡単にいうと「国家を生み出す」説)の最初にくる人、『リバイアサン』という本を書いた、トマス・ホッブズ(1588-1679)だと、私は思います。ですから、私は、トマスホッブズが「諸悪の根源」をつくった一人だと考えています。『リバイアサン』を書いたのは1651年ですから、ホッブズ以降の学問の世界には「人間=戦争」という遺伝子が組み込まれていったのだと考えています。

 

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トマスホッブズリバイアサン(一)』岩波書店、1954年、210頁。

上のページの6行目に「人間の本性」という言葉がありますね。実は、この「本性」という言葉が、学問にとって、特に哲学分野にとって鍵になります。この「本性」というのは、上の三段論法でいうことろの、人間に関する「大前提」になる、「人間とは〇〇だ」の「〇〇」に入る言葉を表します。

 

自然法とか自然法論という言葉を、昔、歴史の教科書か何かで見たことがあるだろうと思うのですが、自然法とは英語で「ナチュラル・ローNatural Law」と書いて、「自然」と「ナチュラル」、名詞形では「ネイチャーNature」と書きます。回りくどくなりましたが、「本性」も英語では「 Nature」なのです。どういうことかといいますと、人間の本性「ネイチャー」について論じること、この学問のことを「自然法自然法論」と呼んで、なんだか、法学の元祖のように考えているのです。どこが法学なの?と思うかもしれませんが、「法」と「法律」は学問の上では別々の概念で、もともと法学の「法」とは、自然法では「人間の本性」のことで、「正しさ(法律)の基準」が「法」なのです(これもまた説明します)。

 

ですから「自然法論」という時の「自然」とは「ネイチャー・Nature = 本性」でして、つまり自然法論とは「人間の本性を論じる」という学問なのです。だから、学問にとって自然法論は、実は最も重要な学問領域なのが分かります。

 

こんなに大事な自然法論ですが、今の学問の世界ではほとんど、まったく、無視されているような分野になっているから不思議です、ホントに不思議。今私が思うのは、おそらくあまりにも学問にとって重要で、全ての土台になる部分であるため、学問の歴史の中で、意図的に無視されてきたように思います。

 

しかし、トマス・ホッブズの時代は「自然法全盛期」です。ホッブズに続く、ロック、ルソー、カントなどの超有名な哲学者の時代は、まだまだ「自然法の全盛期」で、「人間の本性とは・・・」「人間とは・・・・だ」ということを、みんな自分の学問の最初の所、本の最初の部分に必ず入れていたのです。

 

この頃の学問では、哲学や思想の分野と、法学や経済学の分野が、今のように分かれていなかったのです。今では、哲学は「人間科学・人文科学」で「人間学部、文学部」の範囲に入り、法学や経済学は「社会科学」で「法学部、経済学部」などに分けられていいます。

 

自然法論と聞いて、誰か思い浮かぶ人がいるでしょうか?実は、同じトマスでも、ホッブズよりもずっと300年くらい先輩の「トマス・アクイナス(1225-1273)」が、一般的には「自然法」の産みの親と言われていますが、このトマスアクイナスが最初に考えた自然法論では、「人間の本性」は「戦争」とは言っていません。

 

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トマスアクイナス『神学大全 第1巻』創文社昭和35年、125頁。

 

 

元々、伝統的なトマス・アクイナスは人間の本性を「善(補完性原理/助け合い)」であると定義し、そこからトマス主義の学者の間では、人間社会のモデルは「家族」であり、そこでは人と人とは愛し合い、助け合っているという姿をひな型として学問を組み立てていました。

 

「家族」をモデルに考えれば「人間の本性は、補完性(助け合い)」であり、つまり、人間は「助け合う」ものだ、ということを、「学問の大前提」に置いていたのです。

 

私はこの点をもって、トマス・アクイナスとトマス主義の哲学を多くの人に知っていただきたい。この哲学を元に学問を再度構築していかなければならないと考えています。

 

もし、ロックやルソーたち、つまり「近代国家」を生み出す「社会契約説」の論者が、人間本性=補完性(助け合い)として、学問を進めていたら、恐らく、今のような世界にはなっていないと思うのです。今のように学問に対して、人類の将来に対して、希望を失うことはなかっただろうと思うのです。 

 

「新時代学問」が目指すものは「人間の本性は愛である」という哲学を打ち立て、この上に新しい学問を体系づけることだと考えています。

 

「人間の本性が愛」である場合、全ての学問の目指すものが「愛」に向かうのです。愛を実現する法学、愛を実現する経済学、愛を実現する教育学、愛を実現する芸術、全ての学問が愛を目指すようになるはずです。なぜなら、人間の本性に合致することが真に「正しい行為」だと言えるからなのです。人間の本性は、人間にとっての「正しさ」の基準になるものなのです。こうした論理が自然法の論理ですが、今後、詳しく説明していきます。

 

少し追加で説明しますと、「人間とは〇〇だ」という場合の「人間」についての理解の仕方が二つあり、「精神」と「肉体」です。ざっくりな説明になりますが、精神的な面から研究を進めたのが観念論(カントなどが代表)で、肉体面からの研究を進めたのが経験論(ロック、JSミルなど)の流れになります。「精神」か「肉体」かという二者択一が大きな二つの別れになり、その中で、どうも後者(肉体的経験論)が主流になり、快楽主義や功利主義が主流になっていくようです。しかし、人間をして「精神」か「肉体」かという二者択一の議論そのものが「ナンセンス」なのであり、精神も肉体も両方持ち合わせているのが人間であるべきなのです。こうしたバランスのとれた視点はすでに自然法論の中に備わっていたので、特に精神と肉体を分けて議論はしていないのです。そして、自然法論の幅広さ・豊かさこそが本来の学問の土台にあったということが大切なポイントです。

 

ホッブズはその理論(人間本性=戦争論)を組み立てる際に、イギリス人らしく、経験論(肉体主義)をとりました。そこで、人間の本性について、生存競争を生き残るための闘争こそが本質であるように論理を組み立てたのでした。

 

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最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。どうでしたでしょうか。

 

普段の仕事は研究者で、大学で授業している者なので、どうしても頭の中がカタイことばかり考えてまして、よくわからない所とか、もっと説明してほしいとことか、ご意見をいただければホントにうれしいです。あとブログの「読者」になっていただければブログを書いていくやる気が出ます。

 

まだ、内容とかコンセプトがまだハッキリ決まりませんが、皆さんのご意見と反応を見ながら、改善してまいりますので、どうかお付き合いください!

 

 

 

【新時代学問のおすすめ本!】

 

日本人のための戦略的思考入門――日米同盟を超えて(祥伝社新書210)

日本人のための戦略的思考入門――日米同盟を超えて(祥伝社新書210)

 

 

 

孫崎享さん(元外務省国際情報局長、防衛大学校人文社会科学群学群長)の本をたくさん読みましたが、上記『日本人のための戦略的思考入門』は、日本人が教養をつけるために必読の書ではないかと思うくらいに感激しました。

最近でこそ「戦略」をタイトルに入れた本が出回っていますが、その先駆けとなったのが本書だろうと思います。オススメです!!

 

紛争を解決する戦略論 → 戦略はもともと軍事から出発し、軍事に限らず現在は企業において経営戦略として最も重視されている。軍事戦略と、経営戦略の中心にアメリカのロバート・マクナマラ(1916‐2009)がいた。フォードの社長、ハーバード大学ビジネススクール助教授国防長官も歴任したマクナマラが、戦略に関して分析的に考えた最初の人だろうと言われている。孫崎氏は、戦略論について、プロイセンのクラウゼビッツ、イギリスのリデル・ハート、そしてノーベル経済学賞を受賞したトーマス・シェリングという多彩な学者の原著を引用している。

 

アメリカの経済学者トーマス・シェリング1921年~)は、紛争の戦略や「ゲームの理論」によって2005年にノーベル経済学賞(授賞理由:ゲームの理論的分析を通して、紛争と協調への理解を深めた)を受賞た。シェリングの戦略は、敵対相手との間にわずかでも共通利益もしくは共通損害があれば、その一点から、互いに紛争を解決する手口をつかむことができるという。紛争を解決する戦略が、実は、対立する相手との間に「紛争がない状態こそが自分の利益になる」ということを見出すことである。

 

上記はほんの一例で、本書では、世界でも第一級の学術文献を直接引用しつつ、多様な視点から世界情勢の分析を行う視点を養ってくれるたいへん優れた本である。